ラッキーの狂い咲き☆ドラァグロード 第七十三話

皆さまごきげんよう 

好運ミルク飲み人形ラッキー・リーです。 


さて本日は勤労感謝の日でございます。 


思い返せば、夜間の定時制高校に通い始めた昭和の終わり頃から、令和元年の今に至るまで、図らずも様々な職業を経験して参りました。 

中でも、強く記憶に残る職場がありました。

産業廃棄物の処分場です。 


ダンプカーで運び入れた建築廃材を次から次へと地面にぶちまけて、それを材料別に分別するのが主な仕事で、それを人力で行うのですが、ずしりと重い木材や建材、石膏ボードなどをとにかく仕分けして、コンテナに投げ入れる。

今まで、ボール以外の物をこんなに投げた事があっただろうか?というくらい、まるで投擲競技のトレーニングの様に廃材を放り投げ続ける毎日でした。 


そして山と積まれた廃材が大方、片付いてくると地面近くに木くずや破片など細かい物が残ります。

職場の皆さんは腰を折り曲げてそれを拾い上げていたのですが、それでは腰を悪くしてしまいます。 


レスリング修業の只中だった私は、どうしても腰を痛めたくない。

そこではたと膝を打ち、この作業を、相撲の四股の様に股を割り、ぐっと腰を落として行いました。


私はそれを、姿勢が似ている事から“ゴリラ“と呼んでいましたが、この“ゴリラ“のお陰で、腰を痛める事なく、更には足腰が強くなりました。 

キツイ、汚い、危険、の3Kの見本の様な仕事場でしたが、そこで働く人は気さくな方ばかりでした。


廃材の山との果てない格闘も、時にエロ本やバイブレーターなど珍妙なお宝(?)が飛び出してきて、皆でモーターを唸らせて楽しんだのも良い思い出です。
 


私はレスリングをやってきましたが、人並み外れた鍛練をした訳ではありません。

しかし振り返ればいつも、労働の中で自然に身体が鍛えられてきました。 

そして、身体を使った作業の中で、自分には農耕民族の遺伝子が息づいているのをはっきりと感じました。


私の力だけでこんなに動ける筈がない。

父も母も、実家を遡ると米農家です。ご先祖様が営々と流し続けた汗が、私の身体の中に生きている。 


そして今、私はドラァグクイーンの世界で生かされている。

ならば私の全てを差し出しましょう。


そして真っ白に燃え尽きればイスに座って最終回、それは何十年先か、はたまた今夜かも知れません。 


皆さまどうぞ、二度とない今日という一日、飲むべし❗飲むべし❗ 

今夜も泪橋Bar Piece で待ってるよ‼

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